ビンラディン殺害後の世界

 テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンは、10年前の同時多発テロで約3000人の市民を殺害した。NYとワシントンという、米国の中枢をテロで直撃したのは、アルカイダが初めてである。このためビンラディンは、米国政府にとって「エネミー・オブ・ザ・ステート」つまり国家の敵ナンバーワンだった。米国のオバマ大統領は「5月1日に、海軍特殊部隊がパキスタンに潜伏していたビンラディンを、銃撃戦の末殺害した」と発表した。WTCの跡地やホワイトハウスの前には多数の市民が集まり、宿敵の殺害を祝って「USA、USA」と歓喜の声を上げた。

 米国は、長年の悲願を達成した。2001年以来続いている世界規模の対テロ戦争は、大きな節目を迎えたことになる。ドイツ政府を始め、西欧諸国も悪質なテロ組織のトップが排除されたことを歓迎している。だが欧米諸国は手放しで喜ぶことができるのだろうか。

 米国は「イラクの独裁者サダムフセインが毒ガスなどの大量破壊兵器(WMD)をテロ組織に渡す恐れがある」という口実を使って2003年にイラクに侵攻した。WMDは見つからず、米国の主張は嘘だったことがわかったが、米国はサダム政権を転覆させてこの指導者を処刑させることに成功。しかし世界保健機関(WHO)は、開戦からの3年間に死亡したイラク市民の数が約15万人にのぼると推定している。(この数字には異論も出されており、実際の死者数は65万人を超えるという調査結果もある)またアフガニスタンでの戦争でも、誤爆などによって民間人に多数の死者が出ている。国連が2010年に発表した調査結果によると、アフガン市民の死者数は少なくとも2777人。ウィキリークスが公表した米軍の内部資料によると、約2万4000人の市民が死亡している。

 さらに米国は「対テロ戦争」の大義名分の下に、著しい人権侵害を行なってきた。米国は同時多発テロ以降、アルカイダやタリバンの構成員と見られる人物およそ1000人を、グアンタナモ収容所に無期限にわたり司法手続きなしに拘留した。さらにテロ組織に所属していると見られる容疑者を欧州などで拉致し、アフガニスタンや東欧、中東諸国に設置した秘密の拘留施設で尋問した。時には拷問も行なわれた。同時多発テロのプロジェクト・リーダーだったハリド・シェイク・モハメドも、顔を覆った布に水を注いで酸素を遮断する拷問に屈して、全面自供に至ったとされる。

 こうした米国の姿勢はイスラム教徒の間で過激勢力を増幅した。アルカイダはビンラディンが中央集権的にコントロールする組織ではなく、一種のフランチャイズ制を持った組織である。このためビンラディンが死んでも、欧米諸国やイスラエルを狙う無差別テロは後を絶たないだろう。ロンドンやスペインでの自爆テロ、ドイツでのテロ未遂事件に見られるように、西欧諸国で育った移民の子供たちがイスラム原理主義の思想にかぶれて、大量殺人に走るケースも増えている。親米派だったエジプトのムバラク大統領が市民革命で失脚したように、アラブ世界では米国の影響力が低下している。パレスチナ人の抵抗組織ファタハとハマスが内紛をやめて、反イスラエル闘争で協力すると発表したことも、米国には重大な変化だ。パレスチナ解放闘争の中でイスラム過激派の影響力が強まることが確実になったからだ。ハマスは、イスラム原理主義の影響が強い組織で、米国のビンラディン殺害を非難している。

 欧州に潜伏した過激派が、ビンラディン殺害に報復してテロを起こす危険もある。米国の対テロ戦争のおかげで、世界がより安全になったとは決して言えない。

週刊ドイツニュースダイジェスト再掲 2011年5月